最近自動運転する車の記事をよく見る。
先日、テスラモーターが起こした自動運転による事故でこの自動運転という技術そのものに懸念の声が集まっている。
今日とある記事には自動運転をめぐり私たちが直面する正義についての記事があった。
「自動運転車が守るべきは搭乗者か歩行者か」
自動運転による事故の責任はどこにあるのか。運転手?システム?それとも車そのものの問題なのか?
テスタモーターの件ではブレーキの故障が直接の原因という主張になっている。
事故による責任をすべて運転手によるものとなれば結局のところ、運転手は自分で運転するほうが良いのではないか。
またシステムの問題ということなら、起こりうる事故の責任を企業側が取るということになり運転者の交通安全に関する意識は形骸化してしまうのではないか。
その記事の話に戻るとマサセッチュウ工科大学では公開実験「モラル・マシン」を行っている。この実験には私たちもインターネットを通し参加することができる。
要するに正義のあり方を大衆意見で決めようというものである。実際にシステムが犠牲者を決めなくてはならないという場合、
大衆意見をもとに被害者がきまる。
たしか「I,ROBOT」という映画では生存確率の高い人間を生かすというプログラムがあり、それが反映され子供を見殺しにした男(ウィルスミス)
がロボット嫌いな主人公だった。
そんな映画のようなことが近い将来起きるのかもしれない。
誰を殺すか決める大衆意見は究極の民主主義か。。。
これまで議論されてきた正義について何かしらの答えをプログラムは必要としている。
この自動運転技術は私たちに至極人間的な問いを投げかけている気がする。